『初めての一人旅』千葉隼人



 16歳の春、初めての一人旅に出た。バックを1つだけ持って。便箋3枚にびっしり書置きを残して。僕は沖縄目指して旅立った。

 一人旅と言うのは語弊があるかも知れない。確かに1人で旅をしたのだが、正確にいうと家出だ。もちろん家出と言うものを決行したのにはそれなりの理由がある。そのとき僕は高校2年で、旅立ったのは丁度新学期が始まった日だった。当時僕が通っていた高校は、県内でも指折りの進学校と呼ばれるところで、勉強に関してはとても厳しい所だった。入学してみると毎日毎日宿題漬け。部活でくたくたになって帰って来ても、毎日2〜3時間は机に向かわなければならない。勉強嫌いの僕は机に突っ伏したまま寝てしまい。宿題をしないまま次の日を迎え、先生にいつも叱られていた。こんな勉強して何のためになるかも分からなかった僕に、お前のためなんだと目を血走らせている先生が嫌いで、いつも人の悪口ばかり言っているむかつく奴が勉強ができると先生に褒められているのが嫌いで、文武両道とかいう古臭い感苦言を校訓に掲げている高校が嫌いだった。大嫌いだった
 それに、教室に入るといつも息苦しくて仕方なかった。生徒を人間としてではなく、テストの点数だけで見る世界。いくら性格がいい奴でもテストが悪ければゴミ人間扱いされる世界。そんな世界に僕はいたくなかった。机の上の勉強よりももっとやるべきことがあるような気がしてならなかった。

 そんな鬱屈した麻痺日に希望を与えてくれたものがあった。椎名誠の本だ。彼の本は様々な世界を教えてくれた。モンゴルでの生活、砂漠での生活、北極での生活。彼は本当にいろんなところにいって旅をし、その土地の酒を飲み、食を満喫しているようだった。その上彼の文章は、かなり売れている作家なのに気取らない読みやすい文体で、僕にもさらりと読みこなすことができた。そのなかに、『波風 ・・島旅』という一冊があり、日本の色々な島民の生活を描いた本があった。僕はその中の、沖縄のある島に惹かれた。その島では空気がゆったりと流れており、みんな自分の好きなことをしてのびのびとしている様子が感じられた。何より、島の人の表情がいきいきしていた。そこの島の民宿ではバイトも募集しているらしい。
 ・・・そのとき、僕の頭にピーンとくるものがあった。
 『よし・・そこに行こう。行って働かせてもらおう!』
 僕は家を飛び出す決心をした。こんな勉強付けの日々を飛び出して沖縄へ行けば何かが変わると思った。また、ここで家を出なければ僕の人生この先真っ暗だとも何の根拠もなしに思った。
 そして決行前夜・・・僕は3枚の便箋に書置きをしたためた。
 『今までそだててくれて有難うございました。僕はもうこの生活に嫌気がさしました。このままでは僕の感性が鈍り、将来にも悪影響を及ぼすと思い、家をでることに決心しました。高校は休学します。夏ごろには一度帰るかもしれません』
 こういったことを書いた記憶がある。16歳の書く文章なんてこんなもんだ・・。

そして次の日の朝、僕は学校に行くふりをして裏山に隠れ、父と母が出勤するのを待って一旦家にもどり、服を着替えて出発した。天気もよく、爽やかな気分で出発するつもりだったのだが、なぜかすぐれない気分だった。おそらく両親に申し訳ない気持ちと、高校の部活仲間に対する後ろめたい気持ちがあったからだろう。

 自転車で町をでると、僕は隣町にある新幹線の駅へと向かった。この日のためにと溜めておいたお金が20万ほどあったのと、早く沖縄へつきたかったのがあり、新幹線でとりあえず東京へと向かった。今思えば、仙台空港から沖縄まで飛行機で一っとびなのに、なぜその選択肢を選ばなかったのかと悔やまれる。

 新幹線に乗ると、そこから東京まではあっと言う間だった。東北新幹線はトンネルが多いのもあって、景色を見ていてもあまり面白くない。もちろん話す相手もいない。することも特にないのでぼうっと3流週刊誌を見ていた。そこには口元は笑っていても目は虚ろな疲れたアイドルのグラビアが載っていた。僕はそれをみてなぜか無性に悲しくなったのを覚えている。

 東京駅には昼頃に着いた。すぐいでも関西方面行きのバスか新幹線に乗ろうと思ったが、ふと思い立って、横浜の中華街に寄っていくことにした。これには確固たる理由がある。去年(高校一年時)の夏休みに家族で横浜に遊びに行ったのだが、そのときに行った『横浜トリックアートミュージアム」で僕が館内を案内してくれるお姉さんに一目ぼれしたのだ。中華街なのでお姉さんはチャイナドレスを着ていて、スリットもかなり深く入っていた。顔は当時全盛期だった広末涼子に似ており、おっぱいとおしりが程よく膨らんでいて、スタイルが良く、田舎の野暮ったい女子高生を見慣れていた僕にはかなり衝撃的なお姉さんだった。

  その頃の僕には好きな人を基準にして行動を決める傾向があった。中2の時はバイリンガルの宇多田ヒカルに恋をし、本気で留学を考えた。高校からニューヨークの高校に進学して、とある路地でヒカルとばったり出会い、僕は名前と住所の書いてあるハンカチをそこでわざと落とし、ヒカルがそれを僕のアパートに届けてくれて、そこから宇多田ヒカルと僕のラブストーリーが始まる。なんて本気で考えていた。中3の時はモーグルの上村愛子に恋をし、スキーもろくにできないのにモーグル雑誌を買いあさり、愛子がテレビにでるとビデオに必ず撮った。長野にある愛子の実家のペンションに泊まりに行き、そこには愛子が偶然帰って来ていて、愛子が犬の散歩をしている途中に僕と偶然出会い、『その犬可愛いですね』と話しかけるところからこれまた愛子と俺のラブストーリーが始まる。なんてほんとに本気で妄想していたのだ。中学生の童貞野郎の妄想なんて大抵こんなもんである。もちろんそれは妄想に終わり、実現することは決してなかった。しかし会ったことのないひとにあれほど妄想を膨らませられたあの頃が懐かしい。おそらく童貞という技がなせたものであろう。

 話がそれたが、僕は沖縄に行く前にその中華街のお姉さんに会っていくことした。もしかしたらそのお姉さんは大学生で1人暮らしで僕が話しかけたら悩みを聞いてくれてそしたら一緒にご飯食べる?とかいうことになってお酒をいっぱい飲んだお姉さんに『今日私のアパートに泊まってかない?』っていわれてアパートに行ったらそのあとはhgふdhがいはhgjjk・・・なんて事になる、と半ば本気で思っていた。中学時代より知恵はついていたのでさすがにこれ全部は実現しないとは思ったが、せめてお姉さんの顔が見たかった。沖縄に行く前に、一言で良いから言葉を交わしたかった。

  中華街について、そのミュージアムを探した。ところがなかなか見つからない。去年の夏に来た記憶を頼りに探したが、なにせ奥まったところにあったひっそりとしたミュージアムだったので、見つけるのは至難の技だった。その辺に立っている警備員に聞いたり、コンビニの地図で確認したりして、夕方になり、やっとそのミュージアムを見つけることができた。

  意を決して、そのミュージアムに乗り込んだ。久しぶりに緊張した。心臓の音がバクバク言って、他人に聞こえるんじゃないかと思えてひやひやした。
 ・・・しかし、そのミュージアムにそのお姉さんはいなかった。おそらく夏休み限定のバイトか何かの人だったのだろうか。ミュージアムの人に聞いても、そんな人は知らないとのことだった。

  僕は絶望した。別に必ず会えると思っていたわけではないが、少なからず会えることを期待していた。会って一言で良いから言葉を交わしたかった。綺麗なお姉さんに旅の勇気を貰いたかった。

  そしてふさぎ込んだ僕は、中華街をふらふらとさまよい始めた。いつのまにか時間は夜になり、回りにはカップルや家族連れ、サラリーマンの団体が増え始めた。みんな笑顔で楽しそうに見えた。ふさぎこんでいた僕を尻目に、みんなで騒いでいる様子が羨ましくて仕方がなかった。誰も話す相手がいなく、淋しくて淋しくて心が押しつぶされそうだった。

  中華街の隅っこで電話ボックスを見つけた僕は、なぜか家へ電話を掛けていた。おそらく無性に淋しくて、誰か知り合いの声が聞きたかったんだと思う。
   トゥルルル〜。
  『ハイ、もしもし〜?』
 母親が電話に出た。
 『・・・・・・。』
 僕は言葉が出なかった。
 『もしもし?』
 『・・・・・。』
 『拓朗か?拓朗なのが?』
 母の感は鋭い。僕だと気付いたようだ。
 『拓朗だったら声きがせでくれ・・・』
 母は泣いていた。母が泣いているのを聞いたら、急にこんな無謀な旅をしている自分がバカらしくなった。いままで育ててくれた親を悲しませるような旅だったら、それは旅ではないと思った。家出をするなら親をちゃんと説得し、部活の仲間にはきちんと理由を説明し、高校も退学してからもう一度沖縄へ旅立つのが筋だとその瞬間に思った。そして僕はこんな言葉を口にして、電話を切った。
 『明日、帰る・・』

 明日帰るとは言ったものの、そのときすでに夜の9時を回っていた。今夜泊まる場所を決めなくてはならない。どのビジネスホテルに泊まろうかとうろうろとしていると、横浜スタジアムが目に入った。僕は野球が好きだったので、横浜スタジアムの周りをぐるりと一周したみることにした。と、そのとき、僕の目に寝ている野武士(ホームレス)の集団が目に入った。ダンボールと毛布に包まって気持ち良さそうに寝ている。そこの隅には誰も使っていないダンボールと毛布が一組。
 『よし!ここに紛れて寝てしまおう』
 何を思ったか、僕はそこで一夜を明かそうと決め込んだ。他の野武士が寝ていることをいいことに、ひっそりとその中に紛れ込んだ。毛布に包まって、ダンボールで自分の周りを囲めば就寝準備完了である。多少道行く人々の目が気になったが、中華街を歩き回り、疲れていた僕は、すぐにウトウトし始めた。しかししばらく経って・・・
 『俺のもんだぁ!てめえ人の寝床でなにやってんだぁあ!』
 耳元で大音量が響いた。慌てて飛び起きると、ザ・ホームレス、とでも名前をつけたくなるようなヒゲを伸ばし、髪は白髪でもじゃもじゃ、ちょっぴり爆笑問題の太田に似ている野武士が、決死の表情をして立ちすくんでいた。
 『俺のもんだぁぁああああああああああああああ!』
 野武士の咆哮が辺り一面に響き渡った。
 「あ、そっか。』
 僕はそこでやっと気付いた。その寝床は余っていたものではなく、もともと太田似の野武士の物で、たまたま僕がそこを通りがかったときには、野武士はおそらく食料を探すかなにかしていたのだろう。自分の帰る家をこんな若造にとられたと思った野武士はさぞかし悔しかったに違いない。
 『すいません・・すいません!!』
 僕は平謝りし、その場所を後にした。・・・はて困った。どうすべ・・・。
 悩んだあげく、無難なビジネスホテルに泊まることにした。もう一度寝場所を探し、野武士に扮して寝る心の余裕はとっくに消えうせていた。
 11時半過ぎにホテルにチェックインした。僕は老け顔だったので、こんな遅くに1人でホテルに入っても、不審がられる心配はなかった。しかし面倒くさいことになると嫌だったので、受付の容姿には、16歳ではなく18歳と言うことにしておいた。

 ホテルの部屋に入るとどっと疲れが出てきた。しかし、体は疲れているが、目が冴えていてなかなか眠れなく、しかたなくビールをかっくらって寝た。

 次の日、とぼとぼと家に帰ると、親父にぶん殴られた。歯が一本折れ、鼻血が吹き出てきた。痛くて涙が出そうだったが僕はむしろこれで良いと思った。

 結局それから沖縄に1人で旅立つことはなかった。その後の僕は相変わらず勉強はしなかったが、部活には熱中し、後に彼女もでき、それなりの高校時代を過ごす事ができたように思う。

 しかし、いまでもあの時沖縄へ旅立っていたらどうなっただろうかと気になる時がある。おそらく親は捜索願を出し、部活では僕の代わりのキャッチャーを養成していただろうか。それらすべての事を考えると、到底沖縄で生活するなんて事はできなかっただろうが、なぜかいまでも時々沖縄の民宿で汗をかきながら働いている僕の夢を見る。おそらく就職という現実を目の前にして、ロボットのように社会へ繰り込まれていく不安があり、非日常への憧れがまたむくむくと鎌首をもたげてきているせいなのだろうか。

 たった1泊2日の家出だったが、今でもよく思い出す出来事である。苦くて甘酸っぱい感傷を伴って。




BACK