凍みる雪  ※この作品は、史実に基づくフィクションです。


「ずいぶんとまぁ、安らかな顔で・・・」
 「まるで、いい夢でも見てるような」
 「そうですね・・・何時も何処か、哀しげな背中をしていたのに。なんとも嬉しそうな」
 
 布団に横たわる巨躯は、ピクリとも動かない。
 だが、その安らかな顔は、彼が生きているかのように見えた。
 彼の最期に浮かべたその笑みは、今まで抜け殻のようであった彼が、満たされた事を示していた。

 
◆◆◆◆◆


「嘘、だろう・・・」
 信じられなかった。
 「嘘ではありません」
 信じたくはなかった。
 「相馬・・・言っていい冗談と、言って悪い冗談の区別ぐらいつくだろう?」
 「冗談ではありません」
 冗談などではない。
 そんな事は分かっているのだが、認める事が出来ず、島田魁は相馬主計の胸倉を掴んだ。
 「嘘だろう?・・・なぁ、そうだろう?相馬」
 「島田さん、これは・・・事実なんだっ」
 力を込めた島田の掌に、相馬は自分の掌を重ねる。
 重なった掌に、真実が零れ落ちては伝い、地面に黒く染みを広げる。

 「土方さんが・・・」

 嗚咽まじりの相馬の言葉に、嘘などある筈はなかった。
 重く圧し掛かるその事実は、肉を焼けた火箸で抉るよりも残酷で、あまりにも哀しい結末となり、島田をはじめとする、その場にいた者全員の胸を穿った。
 「弁天台場で孤立した・・・我ら・・・新選組を助ける為に、官軍の中を突き進み」
 切れ長の眼より雫を滴らせながら、相馬は淡々と語り始める。
 「腹に・・・銃弾を受けて・・・」
 最後は、声になっていない。
 しかし島田の耳には、相馬が言わんとしたことがこびりついて、剥がれなかった。

 ――――――― 戦死。



 ◆◆◆◆◆


 「寒いな」
 色白な横顔が、更に白く見えた。
 「そうですね」
 睫毛が長く、整った眉。
 雪の中に立つその姿は、そのまま消えてしまいそうな程、儚げで、美しかった。
 「島田ぁ、ちょっとこっち来い」
 「はい」
   少し離れた所に立っていた島田は、命ぜられた通りに、近くまで歩み寄ったのだが、
 「もっと来いよ。寒いんだ」
 袖を掴まれ、引き寄せられ、ぴったりくっつくような格好で、傍らに立つ羽目になってしまった。
 「見ろよ。吹雪いてきやがった」
 「土方さん・・・風邪をひきます。もう中に戻られた方が・・・」
 「心配するな。寒いのは嫌いだが、寒さには強いぞ。俺は」
 だったら、何も外に出ることはないのでは?という疑問には触れず、島田は「流石ですね」と、適当に返答した。
 その横で、更に強くなり、白以外何も見えない吹雪を、真っ直ぐ見つめる土方の頬は、益々白く見える。

 ――――― 新選組副長 土方歳三

 島田魁の傍らの彼は、「鬼」の異名を持つが、まるで役者のような、整った容姿の美しい男だ。
 その美しさの上に、「鬼」という非情な面を被り、ともすれば烏合の衆になりかねない組織を、副長として実質的に掌握してきた男だ。
 味方にさえ容赦をしない冷徹さ故に、「鬼」と呼ばれた土方であったが、監察方としてそのすぐ側に仕える事の多かった島田は、土方が真に「鬼」などではない事を知っている。
 京にいた頃は、近付く事さえ憚られる、喩えるならば、刀の切っ先の様に鋭く尖った感じのあった土方だが、時折見せる優しさは、まるで母親のような暖かさがあった。
 畏れを抱きつつ、土方に従っていた者が多かったが、何時の頃からだろうか、あんなに刺々しかった土方が、すっかり丸くなってしまってからというものの、隊士は皆、子供が母を慕うかのように、土方に懐くようになっていった。
 時折見せるだけだった優しさが、常に顔を晒すようになっていたのだ。
 (多分、局長が亡くなってからだろう)
 新選組局長で、唯一無二の友であった近藤勇が処刑されたことを知ったあたりから、土方が急に丸くなったように島田は感じていた。

 「何じろじろ見てんだよ」
 急に視線がぶつかった。
 どうやら、土方の白い頬に見とれていたらしい。
 「す・・・済みません」
 とりあえず謝り、視線を下に落とす。
 (何をやってるんだ俺達は)
 半時程前、土方に「散歩だ」と言われ、半ば無理矢理外に連れ出された。
 散歩だと言うからには、歩くのだろうと思ったのだが、少し歩いただけで、土方は立ち止まってしまった。
 そして、吹雪。
 吹き付ける大量の雪に凍えながら、肩を寄せ合って立っている。
 時折くしゃみをする島田の傍らで、土方は飽きもせずに、ただただ雪を見つめている。
 「なぁ、島田」
 暫しの沈黙の後に、唐突にかけられた声に、島田は我に返った。
 「何ですか」
 頬に張り付いた雪を払いつつ、土方の方に首を傾ける。
 
「俺は、雪になりてぇ」

「え?」
土方が発した言葉の意味が理解できなかった。
 「綺麗な、雪によぉ」
 寒さに震える手を吹雪の中に伸ばし、雪を握り締める。
 それは、土方の手の中で溶けて、雫に変わった。
 「・・・意味が分かりません」
 率直な疑問を投げかけてみる。
 「雪は最期の一瞬まで、綺麗だ」
 そんな答えが返ってきた。
 「溶けて水になって、消えてなくなるまで」
 「・・・土方さん」
 「俺は、かくありたい」
 「そんな事、言わないで下さいよ」
 島田は、無意識のうちに拳を握り締めていた。
 爪が食い込む痛さは、寒さの所為か、感じない。
 「消えるなんて・・・言わないで下さい」
   「島田・・・」
 「冗談でも、そんな事・・・言わないで下さい。貴方は・・・」
 寒い。
 強烈に吹き付ける雪の花は、物凄く冷たい。
 
 「貴方は、俺達の最後の・・・希望なんだ」

 冷たいのに、冷たい筈なのに、妙に熱かった。
 羞恥と悲しみが混ざり合ったような、如何とも形容しがたい、苦しい空気。
 言った後で、妙に恥かしくなってしまった島田は、土方から目を逸らすように俯いた。
 「貴方がいたから・・・俺は、此処まで来れました」
 白い。
 「貴方がいたから・・・俺は、新選組でいられました」
 足元の雪は、無情な程に。  「だから・・・」
 そういった時、白い視界の端に黒が映った。
 土方の長靴だった。
 「島田」
 いつの間に移動したのか、土方が正面に立っている。
 「だか・・・ら・・・」
 目の前に居る。
 そう考えると、それ以上何も言葉が出てこなかった。

  「泣くなよ」

言われて、初めて気が付いた。
足元の雪に、黒い染みが穴をあけている。
「らしくねぇ」
意を決して、顔を上げてみると、そう言って笑う顔があった。
真っ白で、消えてしまいそうな、儚い笑み。
その中に見える真っ黒な瞳は、白よりも儚げだった。
「まるでガキだ」
「・・・ガキじゃ、駄目ですか?」
「昔からそうだったよな、島田。厳つい外見のくせに、涙もろい」
「別に、いいじゃないですか」
「珍しいな。島田が反抗するとは」
「・・・反抗しているわけでは・・・」
涙が、頬に張り付いて凍る。
それを、新たな涙が溶かしてゆく。
「っ・・・何で、止まらないんだ」
思わず口にしてしまった。
何故か、涙は止まってくれない。
堪えようとしても、土方を見ると出来なかった。
吹雪の中に、呑まれて、すぐにでも視界から消えてしまうのではないかという錯覚に囚われる。
それほどに儚い土方を見ると、涙は言う事を聞かなくなった。
「良かったな」
「何が・・・ですか」
「他の奴らに見られなくて」
本当にその通りだ。
こんな格好悪い姿を、他の隊士に見られなくて良かったと思う。
だが、土方に見られてしまった。
 「土方さんが、見ているじゃないですか」
 「安心しろよ。誰にも言わないでおいてやる」
 目の前の土方が、更に近付く。
 「島田」
 そのまま倒れ込むかのように、島田の胸に土方がおさまった。
 背の高い島田の丁度胸の辺りに、土方の頭がくる。
 「よく聞け」
 島田の陣羽織の胸の辺りを強く掴み、土方は語りかける。

 「死ぬな」

 はっきりと、そう聞こえた。
 「俺に何があっても、死ぬな」
 「土方さん・・・」
 「副長命令だ。どんな事があっても、どんなに無様でもいい」
 寒さが、冷たさが、溶かされていく。
 「後は、追うな」
 その分だけ、熱さは増していく。
 「分かったか」
 霞む筈の視界が、涙の所為でかえってはっきりしてきた。
 「・・・はい」
 その一言が、やっとだった。
 吹雪は、勢いを更に増す。
 歪んでいた白さが明確になり、黒の輪郭が鮮やかに映える。
 「約束しろよ」
 重い。
 いやに重い言葉だった。
 その言葉とともに、胸に何かが染み込むのを島田は感じていた。
 「これ以上は、沢山だ」
 暖かいそれは、布地に優しく広がり、外気にすぐに冷やされる。
 その冷たさは、心地よくもあった。
 「これ以上は・・・誰も」
 陣羽織を?む手の力が、一層強くなった。
 血が通っていないかのような、その手の白さ、冷たさを、島田は忘れる事が出来なかった。
 「死ぬな」
 

◆◆◆◆◆


――――― 歳進院殿誠山義豊大居士
 
 「ずっと、持ってたみたいで・・・」
 葬儀の後、墓に収まってしまった旧友に花を手向けた時の事だった。
 永倉新八は、一枚の紙を渡された。
 少し茶色に変色したその紙には、「歳進院殿誠山義豊大居士」の十一文字が、はっきりと記されていた。
 「懐に入っていまして。誰かの戒名なんでしょうが・・・何故?」
 「まぁ、島田君らしいですな」
 折り目の通りに、一度開いたその紙を、永倉はまた畳む。
 「島田君」
 ゆっくりとしゃがんだ永倉は、墓前に紙をそっと置いた。
 「そっちはどうだい?」
 無論、返答はない。
 だが、やわらかく吹く風は、旧友の人懐っこい笑みを思い浮かべさせた。
 「俺もそのうちそっちに行くよ。それまで、副長を退屈させないようにな。しっかり酒の相手をしておいてくれ」
 しゃがんだ時と同様に、ゆっくりと立ち上がった永倉は、墓前に一礼をする。
 「じゃあな。島田君」
 そう言って立ち去る瞬間、一陣の風が永倉の頬を攫った。
 
 「またな」

 幻聴にしてはあまりに明瞭な声が、響いた。
 「おう」
 幻だ。
 そう分かっていても、永倉は声を返した。
 「近いうちに、また会おう」
 振り返りはしなかったが、分かっていた。
 
旧友が、顔をくしゃくしゃにして笑っているのが。



◆◆◆◆◆


 目を瞑れば、懐かしい喧騒が聞こえる。
 あの頃の風景も、甦る。
 
 「沖田さんと平助が、並んで座って話していた」
 何故だろうか。
 今夜は、何時もよりも鮮明に甦る。
 「ここで永倉と原田さんが、若い隊士に稽古を付けていたな」
 西本願寺境内を、ゆっくりと見回る。その背中は、歳のわりには背筋が良かった。
 「たまに、局長が日向ぼっこついでにその様子を見ていて」
 薄く目を閉じながら、ゆっくりと歩く。
 思い出を、噛み締めながら、静かに、一人で。
「その後ろに・・・」
不意に、足が止まった。

「よぉ。島田」

低くもなく高くもない、それでいてはっきりしている。
懐かしい、声。
「・・・土方さん」
そっと、瞼を開けた。
「老けたな」
そういって、意地悪な笑みを浮かべるその人は、確かに目の前に居た。
「あれから、もう三十年近くたったんです。老けますよ」
幻なんかではなかった。
「そうか。もうそんなにたつのか」
確かに、そこに居た。
「はい」
あの頃と変わらないままの姿で。
「島田ぁ」
あの頃と変わらない、真っ白な美しさで。

「よく生きたな」

そう言って、近付いてきた白い手は、島田の皺だらけの手を、しっかり握った。
「有難う」
不意に告げられた感謝の言葉に、島田は目の奥が疼き出すのを感じていた。
「俺の事、忘れないでいてくれたんだな」
「・・・忘れるわけなんか・・・ないじゃないですか」
もう枯れたと思っていた涙が、再び頬を伝う。
それは、あの時に流したものとは違う涙だった。
 「やっぱり、ガキみてぇだな」
 「・・・もう、七十を過ぎた老いぼれですが」
 「でも、ガキだ」
 涙に霞む視界の向こうで、整った口元を歪める土方の笑みに、あの時の儚さはなかった。
 今迄の、切なく、どこか空虚な時間を埋めるような、優しい笑みだった。
 

◆◆◆◆◆


 ――――― 島田魁
 
 新選組の監察方を務めた男であり、戊辰戦争では、副長・土方歳三に付き従い、箱館戦争まで戦い抜くが、弁天台場で、他の隊士等とともに土方の死を知り、政府軍に投降し、弘前薬王院で謹慎後、名古屋に送られた。
 釈放後、道場や雑貨屋を営んだ後に、京都西本願寺の守衛を勤め、その境内で亡くなる。明治三十三年三月二十日の事だ。  彼の懐には、常に「歳進院殿誠山義豊大居士」と記された紙が入っていたという。

 ――――― 歳進院殿誠山義豊大居士

新選組副長・土方歳三の戒名である。



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