『坂の手前で』 神矢弦彦(かみやつるひこ)
坂を下っても何も無いのだから、ためらわずに右に曲がる事にする。別に特別な事ではなく、単にこの道を通る前から決めてあった事だが、無理にでも理由を付けるとするなら、早く会いたいと思っているから。無理にではなくても理由はこれしかないから、こう答える他に何も浮ばないので、他に考える気にもなれない。ただペダルがこげれば、今はそれでいいのだ。夏と言ったら夏であり、冬と言っても夏である。途中で置かれた魚屋の、生臭い氷でも良いから欲しい。暑さを身に受けるのは気にしない。ましてや、肌が黒くなるのは尚更だ。逆に裸になって、全身至る所を真黒にしてしまおうかと思えるほどだ。けしてやろうなんて考えていないけれど。汗が目に、気にしない。渇きが喉に、気にしない。木が燃えている、気になった。すぐ消えてからもう良い、気にしない。そのうち、道しか見えなくなった。当たり前だが、それしか見えないのなら、それだけを見るしかない。夏特有の活気溢れる五月蠅さも聞こえなくなった。残るは触覚だけだが、自転車で受ける風の流れは健在であるし、ペダルの重みも一向に変わらずそこにある。汗の流れた筋も分かるし、この体を巡る血の生きる路も、末端部分まで感じる。勝手に手がブレーキをかける。それを怒るほど心は狭くはないし、また怒る理由など無い。速度が落ちていく中で、視覚を取り戻し、聴覚は正常になり、触覚は鈍っていった。左を見ると、家がそこに建っている。玄関に用は無い。従って、呼び鈴等には更に用はない。自転車のベルを一、二度鳴らせばそれで良い。後は待つだけ。ほら、来た。
已に自転車から降りていた。並んで歩く時に自転車を押す為だ。いつもの事だが、この時に会話を求める事はしない。適度な緊張感と共に歩くだけで良い。時折何かを言いたげに見えなくも無いが、話しかける素振りを見せる事は無い。しかし、それではつまらない。一言二言の会話は何も特別な事が起きるわけでもない平凡な路にも良い退屈しのぎと言える。ただうんとかああとか返事をする。続きを求めてはいけない。求めて良いのは路だけだ。但し、求めてきても受け取る気は無く、やはりそれだけになる。十分も歩けば線路の下を通る小さくて短いトンネルがある。トンネルを抜けるとそこは同じような風景だ。いつもと違うと思ったら、いつもと比べて静かなことに気付いた。そのことに気付いているのか聞こうと思い、何か言おうとしたが猫が路の端で鳴いたので罷めた。人がいるはずだ、いるはずなのに、いないような気がする。すぐ横を通ってもいないような気がする。いないような気がしても周りに人はいた。いないはずが無かった。いなかったら、つまり存在が全く無くなっていたら、これは夢だろう。もしかしたら、人がいる今も夢なのかもしれない。道端で程度がかなり低い低い位置にある政治問題を喋っている奥様方を見て、これは現実だと認識した。これも話題にしなかった。どういう意味か聞き返されても何て答えて良いか分からないし、喋る事でもないと判断したからだ。今日何日だったろう。覚えていない、と云うか元々頭の中に無いから、覚えてすらいない。聞いたら、わからないと返された。こう云う事にこだわる方では無かったのに質問してから思い出した。何か続けて言おうとも思ったが、道も興味が無い様なので言わない。黙ったまま、また歩く事に専念した。専念するとは言っても、ただ歩くと云う事しか考えないのではつまらない。やはり別の事を考えてしまう。あの事やその事やこの事など、どの事を考えても結局は別に考えなくても良いと思い、途中でやめてしまう。
言葉を空に解き放ちたいのに、解き放てるのは短く浅い溜息一つ。自転車を押すと云う感覚は、其れ程にあるのでは無く、あると云うだけである。無いのでは無く、あるので、矢張りその存在を消すことは出来ない。しかし、この存在を消したとして又この存在があるとして、別に何かが変化するわけでも無い。消しても其れは自転車が無いだけなのだ。消さなくても今握っているハンドルから差して苦でも楽でも無い重みを感じるだけなのだ。あっても無くても良いのなら無くても良いのではないかなどと云う疑問も路は聞こうとしないので考えない。今考えないと云う事を考えたが其れもどうでも良い。どうでも良い事を考えると気が楽になる。なぜ。なぜと考える、なぜと思っても、気が楽になった事実だけが知っている最低であり最高である。最高がそれならそれ以上考えるのは考えないのと同じであり、最低でもあるから考えなくても考えてしまう。しかし、気が楽になる前に気が重くなかった訳では無いから、今はプラスマイナスゼロだ。ゼロなら今は気はどうなっている。楽でも苦でも無いなら何だと問えば返ってくる、又返すのは楽でも苦でも無いと云う状態でしかない。無いものは無いと考えるのが当然としても、無いものはあると考えてしまう。横で呼ばれて気がついたのは、考えてしまうと言う程考えていたのかを疑問にさせる。何と聞けば別にと言われ、何それと言えばそれだけと返された。それだけ。それだけであり、それだけの中には、それなりの意味があるかもしれないと思ってみる。だから話はそれだけだ。
ああ、空は青い。等と呟ける程に青はスカイブルーでも菫でも無い。でも、雲は白いと思う。漂白された綿よりも白い。白ければ白い程良いと思えるのは、木につける葉が緑緑としてるのとは明らかに違う。どうするんだと言いたくなった。こう言う気になったのは、何も今初めてでは無い。初めてでは無いが実際に言ったのは初めてだった。黙ってしまった。沈黙と云う言葉では生ぬるい。重かった、ただ重かった。寂しいよりも思いがやって来る。やって来ては乗っかる。重いは重いから重かった。これが寂しいなら、寂しいは軽いからこんな風にならない。出て行く、が重いを取り除いた。聞こえていたけど聞き返すしかなかった。え、という響きは意外と響く。響くからこそ軽かったので、届いたのか届かなかったのか、顔を見ても分からない。空で崩れたのだろうと思っていたら、どう思うと意見を求められ、多聞届いたのだろうと改めた。改めても意見は出てこない。考えた末に出たのは、好きにすれば良い、だけだ。冷たいと思われただろうか。淡白だと思われただろうか。そんな事を気にするのは久しぶりだった。顔色を伺うと云う慣用句がピッタリと嵌まった。実際に顔を見ると、目が合った。表情と云う表情が無く、喜怒哀楽の特定が出来ない。
笑った、声を上げていた。困るしかない、何をするのか見ているしかない。ずっと笑っていたのが急に止んで、らしいよ、らしいと言って真顔になりありがとうなと前を見て呟いた。互いに歩くのをやめた。何故か、答えは簡単だ。家に入っていく後姿が無言の意思だった。心臓の動きが速い。その速さが普段ぐらいになった時には、已に自転車に乗り、何も無い坂を下っていた。何も無い坂を。何の意味があるのか判らない涙と一緒に下る。ただ、下る。
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