『書くための準備から推敲まで』   H18.10.22より連載

 始めに

 俺(後藤あきら)自身が小説を書く場合においての段階的な書き方手法(もしくは準備等)について、需要があるのか無いのか分からないまま書き連ねていこうと思う。PCが普及した現在、原稿もデータ入稿が当たり前になって来ている状況を鑑みて、特にPC上で何かを書く場合における方法論、もしくは技術やツールの扱い方についてを中心に進めていく。文章中に取り上げたツールやサイトについては随時リンクを貼っていくので、興味がある場合はクリックしてみる事をお薦めする。

 また方針として、取り上げるツールはフリーで配布されている物(所謂フリーソフトと呼ばれる物)をその中心とし、主に利便性を追求した物となる。各ソフトウェアの使用方法等についてはリンク先を参照のこと、予めご了承願いたい。各章における説明不足によって生まれた質問等は受け付ける。



 1、環境構成。テキストエディタとアウトラインプロセッサ

 小説に限らず、PC上で何か文章を書く場合において、現在最も多く使用されているのは何か。恐らくマイクロソフトofficeに含まれるWordであると言える。このソフトウェアはWindowsを搭載したPCを販売する際、セットで売り出す事により現在の膨大なシェア獲得を遂げ、同時に生まれた互換性から、主にビジネス環境において、Excelと共に欠かす事の出来ない立ち位置にまで登りつめている。
 さて、それでは小説を書く場合においてもWordは有効だろうか。俺はこれにNOを唱えたい。まずWordというソフトウェアの特性について考えてみる。このソフトは所謂ワープロソフトと呼ばれるものである。ワープロソフトとは何か。それは、印刷時のレイアウト等を考慮してデータを構築する事を念頭に置かれたソフトであり、主に整形と修飾に力を発揮するソフトの事を言う。
 ワープロの何がいけないのか。実のところ、悪くは無い。文字が書ける、そして読めるという機能を満たしていて、さらにレイアウトに特化しているとなると、その可読性は遥かに向上し、必要な機能は全て満たしていると言えるだろう。しかし、俺がこれの使用を躊躇うのにも当然ながらその理由はある。


 一つ。修飾や整形の為のデータが含まれるので、ファイル自体が重くなる事。
 二つ。Wordは『.doc』という独特のフォーマットの為、Word以外では閲覧できない事。
 三つ。検索・置換等の動作がWordでは『重い』事。
 四つ。Wordは元々1バイト文字(半角英数)に特化していること。
 五つ。文章そのものを装飾で誤魔化してしまう恐れがある事。


 まず一つ目。ファイルの重さについて。
 ADSL(常時接続)が主流となりつつある現代では忘れられがちだが、ファイルが重い(データ量が多い)ということは、メールで送るにせよ、それを受け取って更に作業をするにせよ、大きなデメリットとなる。試しにWord上で「あああああ」と五文字だけ打って.doc(ドキュメント)形式で保存すると、そのサイズはおよそ8Kbyteとなる。全く同じ文字列を.txt(テキスト)形式で保存すると、10byteになった。ちなみにPC上の計算におけるbyteとKbyteの容量差を数字で表すと、理論値では『1024byte=1Kbyte』である。実に1000倍以上の開きがある事が分かる(ディスク上ではこの値に若干の誤差が出る)。また、この実験では、文章の装飾・整形を行っていない。Wordで太字にしてみたり、文字に色をつけてみたり、表示位置をいじった場合、そこにさらに設定情報が組み込まれ、データサイズはますます肥大していく。

 次に二つ目。互換性について。
 前述の通り、Wordは独特の拡張子である『.doc』で保存される。この拡張子のファイルを開けるのはofficeシリーズのみ。つまり、Word、Excel、PowerPoint等のマイクロソフトが販売している専用ソフトのみで閲覧が可能であるという意味だ。これは実に重要な意味を含んでいる。例えば貴方が「誰かに自分の作品を読んで欲しい」と願った時、Wordで作成した作品ファイルをメールで添付したとする。そのとき、もし受け取る相手のPCにofficeがインストールされていなければ、そこで終了だ。「読めませんでした」という感想が返ってくるばかりだろう。
 そこで、この場合ではPC上でならMacでも閲覧可能な『.txt(テキスト)』形式にて保存し、添付するのが理想という事になる。テキスト形式は、およそどのようなPCでも閲覧できるフォーマットである。

 三つ目。Wordというソフトの『重さ』について。
 PCを起動し、急に新鮮なアイディアが浮かんできた。文章を書こうと思いつく。さて、ソフトの起動だ。Wordを開く。プログレスバー(ソフト起動までの時間と経過を知らせてくれる伸縮式のバー)がゆっくりと満ちていく。まだか、まだか。そして待つ事数秒。さあ書こう! とした時にはもう最初のアイディアが色褪せてしまっている……。そんな経験は無いだろうか。
 また、物語を書いている途中で「しまった、このヒロインの名前は昔書いた小説でも使っていたんだった」と気付き、修正しようとする。しかしすでに物語は佳境近くまで進んでいて、全てを探し出して置換していくのを考えると目が回る。そこでWordに搭載されている検索・置換機能を使って一気に変えようとするが……。検索の終了までには数分かかるようだ。コーヒーでも入れてこようか。そんな経験ももしかしたら今後あるかもしれない。
 先に挙げたとおり、Wordはその機能の豊富さから、どうしても動作が『もったりと』しがちである。「インスピレーションを大切に書いていきたいのに、Wordの処理を待つ内にすっかりと消えてしまった」。「ちょっとした機能を使いたいだけなのに随分待たされる」。これは、快適な作業環境と言えるのだろうか。

 四つ目。Wordというソフトの根幹について。
 Wordを作っているのはご存知のとおり、アメリカの企業であるマイクロソフトであり、この国で使っているWordも、そのソフトを日本語化しただけに過ぎない。つまりは、元々日本語に最適化されているわけではないとも言える。近年、バージョンも進み、随分良くなっては来たが、それでも時折怪しい挙動をする事は知られており、ネット上を検索するだけで多くの問題やそれに伴うトラブルも目に付く。
 言語、特に母国語に特化したソフトこそ、物を書く行為には本当に必要なのではないだろうか。

 五つ目。ワープロソフトであるという事。
 上でも挙げたが、ワープロとは、元来文章の装飾(レイアウト)を中心に考えられたシステムである。そしてそれは他人に何かを一目で分かり易く伝えなくてはならない、ビジネス上の企画書製作等を想定して作られたシステムであると言える。しかしながら、ただ文章を書くという行為、特に小説を書くという行為において、装飾はそれほど必要だろうか。プロの作家にも、例えば京極夏彦のようにレイアウトに気を配る作家もいる事から、これは難しい問題だが、俺は個人的に「文章の勉強段階で装飾に頼るのは、文章能力向上の妨げとなる」と考えている。
 驚いた表現を書く場合を想定してみよう。装飾では「太字にして字を大きく、斜めにもしてみよう」とすることで、視覚的なインパクトを得る事が出来る。しかしこれは文章能力の向上に繋がっていくだろうか。普通のフォントで驚愕を与えられる下地があって初めて、それらの事に気を使うべきだと考える。
 しかし、この五つ目について述べた事については、あくまで「後藤あきら」個人の考えである為、もし「そうじゃない」とお考えの人がいるのなら、特に重ねて言い連ねる事も無い。


 さて。長々と書いてきたが、ここから本題に入る。俺は上記理由から、PC上における小説を書く場合においては、Wordでは無く「テキストエディタ」を薦める。テキストエディタについての内容はリンク先を参照して頂きたい。主にプレーンテキストを扱うのに長けており、検索・置換に優れたフリーソフトウェアも数多く出回っている。
 その中でも、特に俺個人が長く使用しているソフトウェアを幾つか挙げてみる。

 NoEditor 色合いが優しく、長時間の執筆に有利。
 TeraPad 動作が驚くほど軽く、メモ代わりにもできる。
 秀丸   シェアウェア(4000円)だが、その機能は恐ろしく高度。

 現在俺はメインで秀丸を使用している。このソフトは国内で古い歴史を持ち、そのためユーザー数も膨大で、情報に事欠かず、また関連する便利なツールも多数公開されている、日本を代表するWindows向けテキストエディタである。カスタマイズ次第でその用途は無限に広がり、俺が先日作成したフリーゲームのシナリオ&プログラミングもこのソフトウェア上で行われた。

 またこの記事も含め、俺が管理するHPのHTMLはNoEditorで記述されている。簡易的なHTML補助機能もついたこのソフトは、フリーソフトでありながら強力なgrep機能を搭載しており、俺はこの機能だけを使用することもある。特に膨大なファイルを一斉に管理・改変しなければならない時(実験結果や、設定資料、ゲームシナリオ等)に大いに力を発する。

 TeraPadも多くのユーザーを抱えるフリーソフトウェアで、関連書籍も出版されている。なんと言ってもこのソフトの利点は動作の軽さにある。ちょっとしたメモを取りたい時、PCの性能が低く、動作が重いソフトを扱うには億劫な時、TeraPadは効果を発揮する。またこのソフトは秀丸同様、ユーザーのツール開発が盛んなソフトで、TeraPadに本来備わっていない機能を後から付け加える事も容易だ(例、文字数換算など)。

 さて、小説を書く前の準備(主に環境構成)ということで書き進めてきた本稿だが、テキストエディタの他に、もう一つ強力に推奨しておきたいソフトウェアがある。アウトラインプロセッサだ。こちらのサイトで丁寧にまとめて頂いているので参考にリンクを貼っておく。ちなみに俺が現在使用しているのは『Story Editor』だが、これ以外にも現在は便利で高機能のソフトがフリーで色々出回っているようだ。比較検討して執筆に役立てて欲しい。物語の構成など、特に長編を書く場合にこれは非常に大きな力を発揮する。


 駆け足ながら、まずは「書くための準備」という事に焦点を当て、特にPC上でいかに快適に書くかを念頭にまとめてみた。次回からは実際のソフト運用や、書くために必要な意識について触れようと思う。



 2、最初に考えるべきこと。テーマについて

 テキストエディタとアウトラインプロセッサを導入した。数日いじってみて、大体の機能は把握した。これで最低限の環境については整った。さて、実際に小説を書いてみようか。テキストエディタを起動し、最初の一文をおもむろに書き出す……。
 ちょっと待って欲しい。小説を書くには段階というものが存在している。何の心構えも無しに突然書き始めることは、多くの場合において総合的な破綻を招きやすく、勢いだけで書き進められる物語初盤はともかくとして、盛り上がるべき佳境や、それの下地であるブリッジ(起承転結で言う承の部分)が中弛みしてしまう事もある。言うなれば地図も装備も持たず無計画に未開の地へと突進する愚行に似ている。
 この章では、小説を書き始めるために必要な前準備と、意識についてまとめる。

 小説を書く、書きたいと思う時、俺達が最初に考えなければならない事はなんだろうか。それは『テーマ』だ。何について書くのか、何を書きたいのか。それを明文化できなくて、どうして意義のある作品を書くことができるだろう(あえて無テーマに挑戦するというのなら話は別だが)。
 前項で触れたアウトラインプロセッサを起動しよう。そして、その一番上のページにテーマを簡単な文章で良いからまとめてみよう。その際、注意しなければならないのは、できるだけ簡潔に、そして明快に書くという事だ。小説、特に執筆期間が長大になるような長編を書く場合、陥りがちな問題の一つとして、『書き進めるうちにテーマを忘れる』という物がある。調子よく書き進むうちにどんどん話が逸れていき、最終的に何を書きたかったのかの焦点がボケてしまう。これはできる限り避けたい所だ。もちろん、書き進める途中に湧いてきた新鮮なアイディアは活かすべきだが、そのために物語が決壊してしまう事だけは避けなくてはならない。web上でも時折見かけるが、高校生や文章を書き慣れていない人間が書いた長編にはその傾向が強く感じる。
 長い物語を書いていて、自分が現在のテーマを見失ってしまった時に、一目で何を書こうとしていたのか確認できると言うのは大きな強みだ。また、アウトラインプロセッサはテキストエディタ同様、修正が非常に簡単に行える。書く途中でテーマが深まっていった時(それは多い割合で起こる)、新たに書き留めていくことも容易だろう。

 次に、実際のテーマの書き方について説明していく。
 まず一番初めに気をつけなくてはならないのが、『テーマは粗筋ではない』ということだ。物語を書いていると、どうしてか自分がこれから書くものに粗筋を書いてしまいたいという人間が多い。また、書いてしまった事で満足感を覚えてしまい、そこで思考停止してしまう事も何故か多いのだ。テーマは、粗筋ではない。ここを強く意識しなければならない。
 では、粗筋ではないテーマというものはどのようにして書かれるべきか。まず一点。具体性の必要。「誰が」「どこで」「どのように」「どうしたから」「どうなるのか」。最低この五つはカバーしなければならない。しかもそれを、可能な限り一文で説明できなければならない。具体例を下に挙げる。

 自身の生き様について疑問を感じつつある主人公が、高校生まで住んでいた街を仕事(一ヶ月の長期出張)で訪れ、懐かしい人々や景色に出会い、その触れあいの中で、自分の人生についての一つの答えを得るまでの物語。

 さて、以上が根幹的なテーマとなる。何が大切なのか。物語のフィールドは何か。どんな状況で始まり、終わるのか。関わる人間はどのような物なのか。それらを明確化して後、今度はそれぞれのファクターに肉づけを行っていく。



タイトル「ロケットの樹の下で(仮)」
 それなりの家庭を築き、会社での地位も得、決して悪くは無い人生を送ってきた主人公(高橋智明)は、しかしどこかで自分の生き様について疑問を持ってもいた。高橋智明の生活を見て、誰もが「幸せを絵に描いたようだ」と言い、自分もそれに反論する要素は無いのにどこかで何かが足りないような喪失感を拭い去れずにいた。
 そんな時、仕事の関係で、支社があるM県への長期出張が決まる。その行き先は、主人公が高校生までを過ごした街であった。出向先での生活も何とか落ち着いてきた二周目の週末。主人公は駅前で懐かしい友人(斎藤幸宏)と再会する。友人はさらに幾人かの旧友を呼び寄せて、その晩は居酒屋で思いもかけない同窓会になった。近況を聞き、報告し、やがて酒飲み話は思い出話へと変わる。その時、友人の一人がふと漏らした「ロケットの樹」という単語に、主人公は自分でも不思議なほど大きな衝撃を受ける。
 主人公達が通っていた中学校の裏手には小さな丘があり、その頂上には古い大木がポツンと立っていた。誰がそう呼んだのか、大木は「ロケットの樹」と呼ばれ、周辺はいい遊び場となっていた。当時、主人公を含める仲間達はそこでペットボトルロケットの製作に打ち込んでいたことを思い出す。誰が言い出したのか、居酒屋を出てその樹を見に行く事にした主人公達。樹の下へと辿り着いた主人公はそこで過去の幻影と出会う。そして自身の現在の立ち位置を思う。
 それから残りの三週間で主人公達はもう一度ロケットを飛ばす事を考えた。友人(伊東幹広)の経営する商店街中の店(伊東サイクルチェーン。自転車屋)の倉庫を使って始まるペットボトルロケット製作。次々と現れる懐かしい顔ぶれ。そして主人公の初恋の相手(小林真理)。確かにここが故郷だと、そう言い切れる懐かしい街の中で、主人公はロケットを飛ばす事に夢中になっていく。やがてロケットは完成。発射の日は主人公が出張を終えて、この街を出る前日の午後に決まった。いつの間にか増えていた友人達と共に、ロケットを発射する主人公。しかし、ロケットは打ちあがらなかった。一瞬の落胆の声の後、笑顔でお互いを称え合う仲間達。主人公達は、次こそ必ず打ち上げるという事を誓って別れる。
 帰りの新幹線の中で、何故ロケットが飛ばなかったのかを考える主人公はふと、次は必ず自分の息子を連れて来ようと思う。そして、そう思う事によって、自分の今、そして未来について思いを馳せる事になる。鈍い音を立てる新幹線の中で、ふと眠りに落ちる時、どこか遠くで懐かしい歓声を聞いたような気がしたが、そのまま眠って終了。



 三十分ほどかけて肉づけしてみた。簡単だったが、このようになる。大体の筋書きとテーマまでの道のりは、これで分かるだろう。また、上記のテーマではその内容上、触れなかったが、もしもエンターテイメント要素の強い作品を製作するつもりである場合は、テーマの中に必ず「どこで(どのような事で)読者を楽しませるのか」を明文化しておく必要がある。エンターテイメントはその根幹が『娯楽』であることから、必ず抑えなくてはならない要素だ。例えばジェットコースターなら「非日常的なスピードと縦横に激しく揺さぶられるスリルで、お客様を安全に、かつ大胆に楽しませる」と言うような物だ。これはあえて物語的な具体例を挙げずにいようと思う。各自の裁量に任せたい。

 さて、テーマが固まった所で次に考えなくてはならないのはなんだろうか。書き慣れている者はここで書き始めても良いが、この講座では詳細な書き方の段階を記述していこうと思う。
 次に考えなくてはならないのは簡易的なプロットだ。プロットとは話の筋書きであり、構成図とも言える。「何月何日に、どこで、誰が、どのようにした」と言う内容を、その日付を追って、またはイベントを追って書き連ねていくメモである。これは断片的で構わない。あくまでメモであり、目安である。自身が走るルートを見失わないように付ける目印のような物と考えて良い。
 手前味噌で申し訳ないが、下に示したのは俺が先日作成したゲームのプロットだ。アウトラインプロセッサに「StoryEditor」を使用している。何らかの参考になればと思う。ただし、表示した物はあくまで一連の物語の流れの一部分なので、プロットに最低限必要な「きっかけ」、「展開」、「結末」の内、「きっかけ」をしっかりと明記していない事を先に断っておく。



 さて、テーマが決まった。プロットもできた。大体の筋書きもできた。次にする事はなんだろうか。書き始めてしまう? それでも良いだろう。しかし、この講座ではもう少し物語を掘り下げて書くために、あくまでも前段階としての準備を煮詰めてみようと思う。上でも少々触れたが、物語にはフィールドと言う物がある。そして、物語には必ず登場人物がいる。次項ではこれらについてのまとめ方と、それに伴う資料の使い方とその重要性について触れようと思う。



 3、物語の具体性。フィールドと資料

 前回の最後に予告した通り、今回も物語を実際に書き出す前の準備の説明を行う。特に今回は物語の根幹に深く関わる部分でもある『フィールド』と、『登場人物』について。そしてそれらを下からバックアップする『資料』の取り扱い方について述べる。

 物語を書く、という段になり、テーマも決まり、筋書きもあらかた出来た。それでは次に考えるべき事はなんだろうか。俺の場合は、物語が実際に展開していくであろうフィールドを想定する。フィールドは『舞台』に置き換えても良い。
 具体例を挙げて説明する。貴方が書こうとしている物語はなんだろうか。学生生活を中心とした青春群像? 思いを白球にかけた一夏の野球活劇? 古き善き大江戸を偲ぶ時代物? 伝統的な能主家の一族を背景とする御家騒動? どれにせよ、その物語が動くにはまず、登場人物達が実際に動き、話し、生活する『場所』が必要だ。演劇を例にとるまでも無く、物語は必ず『舞台』の上で執り行われる。登場人物達が根ざす物はなんなのか。一年の半分を雪に閉ざされた北の国と、雪の存在すら知らない南洋の国では、自ずと展開される物語は変わるはずだし、そこに暮らす人々の意識にも多分に影響があるだろう。また、場所の表記の仕方によって(冷たく凍っている、焼け付くような陽射しの中に乾いた海風が吹いている、人工物が冷たく見下ろしている等)、文章全体から受ける印象はガラリと変わるはずだ。場所とは、物語の骨子をも端的に表し得る。

 また、『登場人物』も同様に大切な要素となる。人数は何人なのか。どういった人間達なのか。主人公とどのように関わり、そしてそれはどのような効果を物語に与えるのか。また、主人公を含めて、登場人物たちは現在どのような地位にいて、どのような思想と価値観を持ち、どのような動機で動いているのか。関わりと、その深度。これらを確認した後に、次にすべき事は、個別のキャラクター達の色付けに当たる。しかし、性格付けは難しい。書き出す前と、書き出した後で物語の要素が変化していくのはありがちなことだが、その中でも最も変わりやすいのが、この『キャラクターの性格』であるかもしれない。こればかりは書き出す前に自分の中ではっきりとしたイメージを持ち、象徴的な(性格や傾向が上手く掴めるといったような意味合いで)セリフや仕草等を先に書き出してみても良い。

 『フィールド』と、そこに動く『登場人物』。この二つの要素は物語の深さに直結する大きな要因だ。くどいと感じるほどに拘ってもいい部分だと思う。物語のテーマと同じくして、できる限り明快に把握する事が物語の完成度を高めることに一役どころではなく貢献してくれるだろう。

 さて、それでは、実際に『フィールド』や『登場人物』を作成するにあたり、どのような事に注意すべきかについて述べる。

 あえて荒唐無稽な物語を狙って書くのでなければ、小説に必要な要素に『リアリティ』がある。所詮フィクションの世界である『物語』にもリアリティは不可欠なのだ。なぜなら、ある物語に深く埋没する為には、それなりの段階や、作者による読者の意識の誘導が必要になる。そして、それらを助ける要素がリアリティであるからだ。例えば病院を舞台にした物語があったとする。看護師がさしたる理由も無く平気な顔でオペを行っていたらどうだろうか。難病に冒され余命三ヶ月の患者が病院内を走り回っていたらどうだろうか。少なくとも俺はその瞬間に違和感を覚え、物語の世界に浸っていた意識を現実へと無理やり引き戻されてしまう。

 リアリティの構築の為に何をすべきか。それは一にも二にも無く取材という事になるだろう。取材とは何も現場を訪れて該当者にインタビューを試みる事ばかりを言うのではない。数多くの資料にあたる事。これがまず最初にすべきことだ。現代はインターネットという便利な物も出来、必要書類の検索は遥かにスピーディにかつ容易になっている。最低限、自分の作品に必要な知識は一度検索してみる事が望ましい。しかしながら、ネットの情報には時に偏りや誤りがあることにも留意しなければならない。なぜなら、ネットとは『世界中の誰もが』、『自分の意識通りに』、『自分勝手な情報を』、『好きなだけ流す事ができる』からだ。以上を鑑みてみて、資料をあたる際に大切な事は、『既に評価が下されている書籍を読むこと』、そして『あえてその書籍とは真逆な意見を採用した資料が無いか探してみる事』だと俺は思う。

 『リアリティ』の構築。それは自分の物語の基礎部分を固めるという事と同意だ。しかしながら物語はいつでも完全なリアリティのみで構成されているわけではない。時にはそれを故意に逸脱する事もある。だがここで注意しなければいけないのは、『逸脱』も、『自分が逸脱している』という意識化において成されなければ、『ただのミス』と受け取られてしまう怖れがあるという事だ。土台がしっかりしているという事、それは読者に安心感を提供する。大きな物語において読者は、用意された頑強な大船の中で、初めて自由気ままに荒唐無稽な物語さえも愛せるのだ。

 前置きが長くなってしまったが。俺は、物語における『フィールド』、そして『登場人物』にも、ある程度のリアリティを提供すべきだと考える。そしてそのために資料探索を怠ってはならない。自分の中で違和感無く『フィールド』描写ができるようになり、『人物』描写ができるようになって初めて物語は確かな呼吸を始める。常に心に留めておくべき事柄だろう。

 さて、今回は物語に不可欠な『フィールド』と『登場人物』、そしてそれらを支える『資料』の三点をリアリティという側面から述べてきた。翻って次章では、『リアリティの故意的破壊』という技術について述べようかと思う。物語において、しっかりとした屋台骨に支えられて構築されたリアリティを壊す必要性と、その効果についての俺の所見を簡単にまとめてみるつもりだ。



 4、リアリティの自主的破壊。物語の意外性

 前項では物語の『リアリティ』に焦点をあて、裏付けのあるフィールドと登場人物の構築について述べた。それを踏まえた上で、この回ではあえてリアリティを破壊する意義と、その効果について簡単にまとめてみようと思う。また、その対象となるジャンルは「あくまで基本は現実に根ざした」小説であり、ファンタジーや、昨今流行であるライトノベル的な手法は除外する事にする。これらのジャンルはまず最初に「現実性の大胆な破壊、適切な排除」を行う所から出発しており、今回の方向性とは微妙に外れると判断した為だ。

 


次回に続く。




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