『ホトトギス……』鎌田玄英



「お前も俺も、最後は華々しく逝こうじゃないか」
 
 壊れかけの大砲。
 火薬は五発分。
 火をつければ、おそらく暴発するだろう。
 「奴らは冥土の供だ」
 洋装の部隊が、黒い波のように迫ってくる。
 数はおよそ三百。先陣はおそらく薩摩だろう。
 「今まで、よく頑張った。お前も、俺たちも」
 骨が目立つ、ごつごつとした掌で砲身を撫で、中島は笑った。
 「恒太郎、英次郎・・・皆・・・有難う」
 眼を閉じて、点火した。火薬の匂いが、鼻をつく。
 冥土を示す、線香の香りにも似ていた。


◆◆◆◆◆◆


 「明日、死ぬ」
 笑いながら言った。
 哀しいことには何故か思えない。哀しいどころか、何処か嬉しくさえあった。
 「死ぬのは俺だけでいい。皆、早く此処から去れ」
 「嫌です」
 立ち上がったのは、英次郎だった。
 「父上・・・私たちは皆、死を誓い合ったのです。皆、此処を墓場と定めた者たちです」
 「英次郎、いくつになった」
 「・・・十九です」
 「俺は、もう五十だ。おまけに体も弱い。此処で死なずとも先は短いが、お前たちは皆俺の半分生きたかどうかという歳ではないか」
 長男恒太郎、次男英次郎をはじめ、二十歳になるかならぬかの若者たちは、涙を流すまいと必死に堪えていた。其の顔は、幼さの残る可愛らしい表情で、これからの日本を支えていく頼もしい表情であった。
 「歳など・・・関係ありませぬ」
 遂に、英次郎の目から涙がこぼれた。
 それでも、真っ直ぐな声は震えることなく響く。
 「我らは、父上と最期を供にする覚悟です。薩長に一矢報いなければ、先に散っていった者たちに何と言って詫びればよいのですか!」
 「私も、英次郎と同じです」
 恒太郎も立ち上がった。
 「此処で生き残れば・・・それは武士として恥ずべき事。のうのうと生き長らえるくらいならば、私は薩長の者どもを供に、冥土へ逝く方がよい」
 「私もです!」
 「私も、中島殿と最期をともにします!」
 「武士として、恥じぬ最期を奴らに見せてやりましょう!」
 恒太郎の言葉をきっかけとし、皆が次々立ち上がり、?みかからんばかりの勢いで迫る。
 どの顔も、若い。
 明日への希望に溢れる顔が、明日の死に憧れている。
 若さ故の、鉄砲玉のような情熱が、痛いほどに押し寄せる。
 「・・・皆、有難う」
 中島は立ち上がり、若者の中を真っ直ぐに進んだ。
 其の先には、壊れかけの大砲。 
 暴発の恐れがあるために、暫く前から使用していなかったものだ。
 「火薬を命一杯・・・これに詰めてくれ」
 近くにいた者に、そう命じる。
 「俺は、だいぶひ弱な体でな・・・お前たちのように、華々しい動きは出来ん。明日、こいつと一緒に死に花を咲かせるつもりだ」
 砲身を軽く撫で、もと来た道を戻り、ゆっくりと腰を下ろした。
 「酒があるだろう?つぶれない程度に飲もう」
 再び、皆の顔を見る。
 どの顔も、もう泣いてはいなかった。
 皆、笑顔だった。


◆◆◆◆◆◆


 「・・・何だ、まだ元気じゃねぇか」
 轟音が響いた。
 黒い洋装の者たちが、ばたばたと倒れていく。
 線香の匂いは消え、砲弾の巻き上げた土と鉄の匂いが、代わりに鼻をつく。
 「俺にも、頑張れってことか」
 弾けることなく耐えた砲身に、労いをかけ、中島は腰に手をやった。
 久しくまともに扱っていなかった武士の魂は、妙に重く感じられた。
 だが、最期にそれを振り回せる機会を得られた事は、この上ない幸せであった。
 「中島三郎助、最期の一戦だ」
 振り回す刀とは逆に、病身は信じられぬ程に軽く、自然と敵中に足が向かった。
 中島隊は皆、先刻の轟音を合図に敵中に斬り込み、華々しく奮戦し、一人、また一人と散っていく。
 鉄臭い花びらが飛び散り、瞬き一つするうちに、誰かが地に伏す。
 誰もが、修羅だ。
 「(なんと惨いことよ)」
 重い刀を振りながら、中島は最期を待っていた。
 「(人のなんと、惨いことか)」
 出来る事なら、巻き込みたくはなかった。
 皆に、生きて欲しかった。
 このような時代に生をうけ、そして殺される。それが何故、彼等でなくてはいけないのか。
 「ほととぎす・・・」
 口をついたのは、つい先日作った句。作った後で、それが辞世と感じたもの。
 不意に、鋭い衝撃が胸に走った。
 それは、皮を破り、肉を裂き、花を咲かせた。
 
 「我も血を吐く・・・思ひ・・・或・・・」



※補足

中島三郎助(なかじまさぶろうすけ) 1820〜1869
 幕末期の幕臣で、蝦夷共和国箱館奉行並。
 下田奉行与力の家に生まれる。
 ペリー来航の際は、浦賀の副奉行として米国使者との応接談判にあたった。
 後、海軍伝習所第一期生となり、四年後、軍艦操練教授方出役、ついで頭取となる。
 戊辰戦争が勃発すると、榎本武揚らとともに箱館へ向かい、蝦夷共和国の箱館奉行並となる。
 本陣前衛の千代ヶ岡台場を守備。箱館市中が新政府軍に占領され、降伏勧告を受けるも拒否し、徹底抗戦を主張。本陣の五稜郭降伏の二日前に、長男の恒太郎、次男の英次郎らとともに戦死。この戦いで、中島を慕い、浦賀から行動を共にしてきた柴田伸助(享年56)や、朝夷三郎、近藤彦吉、福西周太郎ら浦賀隊の十代の若者たちも戦死した。



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